五の章  さくら
 (お侍 extra)
 



     鬼 火 〜その一




 ふっと、夜半に目が覚めた。まだまだ夜明け前の黎明には至らぬ頃合いか。それでも辺りはしんと静まり返っており、夜の長い“癒しの里”ですら寝静まっている時間帯には違いないようで。そんなこんなと思いつつ、まぶたの裏よりは明るいのだろ室内の、天井板やら調度やらの輪郭がほのかに浮いて見えるのへ、どこにも異状は無しと無意識のままに拾っていたのは、何もここに来てからの習慣じゃあない。差配の用心棒であったよりも前から、恐らくはこの手に刀というもの与えられたころから身についたもの。眠っているときでさえ、感覚を研ぎ澄ましての油断なく。生か死しかないよな世界に身を置いていると知れとの覚悟、刀と共に授かった久蔵で。単なる心掛けとか、あるいは物の喩えだったのかもしれないが、さして時をおかずして、その腕を請われての本当にそれこそが条理という世界へ放り出されてしまっては、もはやそれが“真理”になってもおかしくはなく。それ以降、どこか大きに偏った生き方しか知らずに過ごして来た彼であり。

 “…。”

 かさとも物音もせずの、静かなばかりな夜陰の中だ。気になるといや、布団から出ていた耳の先が少し冷たいくらい。まさかにこんなことで起きてしまったのだろか。
“…。”
 寒いことへは耐性もあったはずなのにな。それだというに、冷たい手なのを気にかけてくれた人がいて。こんなに冷たくしていてどうしますかと、暇さえあれば そおと握って、暖めていてくれた優しい人。片方の手は作り物だからと、布越しにと構えてくれたのを遮ったほど、その人自身の暖かさが身に染みて嬉しい仕儀となるのに間は掛からなくって。そんなこんなを思い出していたのだが、
「…。」
 いや待て、と。それって七郎次ばかりではなかったような気がして来た。

 “……ヒョーゴも。”

 何につけても反応の薄い久蔵へ、いつだって叱り飛ばすような口利きをしていた朋友。七郎次とは正反対の性格で、なのによく世話を焼いてもくれた彼であり。ただ、あちらの場合は、いざという時に指の動きが凍っていたら困ろうと、そんな言い方をし通していて。あの頃は そんな手で握った刀へとくわわる剣戟の痛さだけが、しっかと生きていることへの唯一の実感だった。斬って斬って、叩き合って。そうやって前へ前へ進み続けて。頬を叩く強い風、宙へと躍らせた総身を受け止める浮遊感。生と死とがぎりぎりで鬩ぎ合う中、ほんの刹那だけ閃く“生”を拾い、生き残れたことに総身がざぁっと熱く泡立つことをのみ甲斐として駆け抜ける。そんな危うい戦場へ、生身の身体で飛び込み、血路を斬り開くのが常の役目。そしてそれが嫌じゃあなかった。

  ―― このまま風になれたらいいのにと思えたほどに

 いつまでも穹を翔け続けていたかった。そのためだったら何も要らないと、重い防具も邪魔なだけだとまとわなかったし、艦へと戻ることまで考えない戦いようは、無謀が過ぎると相方にしょっちゅう怒鳴られた。物心付いたころからと言ってもいいほど、それが基本の毎日だったから、穹にいない自分はただ単に格納されてる武器と同んなじで。だから、戦さが終わってしまったことが、どういう意味なのか しばらく理解出来なかったほどだった。

 『こんなに冷たくして。
  知らぬうちに怪我なぞしていても気がつかないんじゃありませんか?』

 暖かいでしょう? 気持ちがいいでしょう? 優しく微笑ってくれた人。起きられないこと、痛みが引かないこと、焦らなくていいからと。生身の腕を大事になさいと励ましてくれた人。ああでも、そんな温みや甘さを覚えてはいけなかったのかな。だって、そのせいで今度は“寂しい”を覚えてしまったもの。何も持たないからこその寒さへも、特に苦もないままでいられたのにね。寂しいなんて感情、意味すら判らなかったのにね。今の自分には、見上げた夜陰の暗闇さえも落ち着けない。何にもない空間が、何だか自分の行く末を暗示しているようにも見えるから。枕の上でパタリと頭だけを巡らせれば、

 「………。」

 さして離れぬところに、お隣りの夜具で眠る人影が見えた。真っ直ぐ天井のほうを見やっている横顔は、明かりがないのでくっきりとまでは見えないが。それが誰かはわざわざ確かめるまでもないことで。

 「…。」

 すぐ真横だったから、こうしないと見えなかった存在。おかしいな。俺はこやつを追ってたんじゃあなかったか。順番待ちの身で、ただただ先約へと打ち込む横顔や背中ばかりを眺めてて。雌雄を決したいとの望みを果たしたいがため、ついて来た背中だったはずなのに。全身が覚醒しきらねば仕留められぬぞと、久しくなかった切迫感もて総身の感覚全てを叩き起こさせたほどの稀なる練達で。だっていうのに、自分を差し置き、数の多さが厄介なだけで歯ごたえはなかろう格下の奴輩を切るのが先だと抜かしおる。これほどの男を下らぬことで失くすのは忍びなくてそれでと、いつしかあれこれから庇うようになって。それが最初の気概とは全く逆の理屈だと、気づいたときにはもう遅く。離れ難くてのその結果、こんなところまでついて来てしまっている。

 「…。」

 何でもかんでもその背へと負ってしまう性分は、不器用だからかそれとも、強靭な姿勢がそうさせるものなのか。侍なのだ人斬りなのだということは隠さず曲げず、なのに、義に厚いところも並行させての成り立たせている、今時には奇特な男。世の流れのせいにせず、小利口さへ逃げたりもせず、捨て置けぬと思ったものは全て自分で負う、そんな勘兵衛の人間性の大きさに、いつしか惹かれてしまったということか。気がつけば、凌駕しての斬りたかった対象だったはずな彼を、それ以上に…自分だけのものにしたくて堪らなくなっており。とうとう捕まえて得た懐ろの暖かさへ、ここ最近は逃げ込む格好になってもいるほどの久蔵で。

 「………。」

 そう。何も考えたくはなくてと、そんなすがり方をしていることくらい、判らぬ壮年でもなかろうに。なのに 何も訊かずにいてくれるのもまた、彼の大きさの現れなのだろか。だとすれば…ちょっと癪で。それでなのかどうなのか、こちらへ移って来てからは、衾を同じにすることもないままで通しているが。

 「…。」

 随分と目が冴えてしまったせいだろか。すぐの隣が遠く見え、彼までもが遠のくのかと思えてならず。逡巡した揚げ句、夜具から起き上がりかけたそんな間合いへ、


  「……………っ。」





   ◇  ◇  ◇



 大戦が終わってしばらくすると、職を失った侍の大半が浪人となって世にあふれた。負けた側のみならず、勝った側の人間でも不要とされての解き放たれたのは、歪んだ価値観が総身に回り、階級にのみしがみついてた者ほど潰しが効かぬから。軍が解体されてしまえば拠りどころもなく、食うに困った者らは成り振り構わず振る舞うしかなく。それで身を立てられるほどに、如才がなければまだマシな方。下手に矜持だプライドだを持つ者、特に機巧躯となっていた層には、一気に野伏せりにまで堕ちる者が後を絶たず。そこまでの武装武力を持たず、さすがに野盗にだけは墜ちたくないという者らが、あちこちの街で当てもないままよすがを過ごし、さまよいさすらう姿があふれていたものだった。そして、そんな不遇からつのった不満は、戦後めきめきと頭角を現し、世を制覇した商人層へと向けられることが多く。その筆頭でもあった天主や大商人らが亡くなったこたびの流れ、様々な憶測が流れての波紋も呼んで、世間は結構な動揺に波立ってもいたらしい

  ―― ただ。

 虹雅渓は交易、それも通過してゆく旅人が使う金が、経済の半分を回しているという、他の街とは微妙に一線を画している風合いの土地柄なせいか。不安定といや不安定だが、じゃあそういった不満層の結束が固いかといや そっちも曖昧。絶対の裁定権を持っていた存在がいきなり不在になっちゃあいるが、どちらかといえば、組主の誰がのし上がるかが競われてる最中なんで、定着層の庶民の皆様はその傾向がどこへ落ち着くものかというのを様子見の態勢。あまりに確固たる形態が出来上がっていたものだから、それをそのまま引き継いだ方が混乱もないと誰もが思って疑わず、新しい態勢引っ提げてという革命ぽいことが成就するのは、なかなかに難しい街だといえて。治安維持を担当せんと新たに立ち上がった警邏隊へ、さして反旗を翻す抵抗勢力が出ないのが何よりの証拠。

 『その点じゃあ、
  商人だけじゃあない、庶民だってしたたかなもんだってことですよ。』

 勿論、だからと言っての油断をしてはいなかった。大元の騒動に関しては最も真実を知る当事者だとはいえ、そこからの破綻や波及はもはや彼らの手でどうこう出来るものにはあらずであり。こんな世情だからという心掛けとして、あの戦いの後塵ではなく、単なる野盗による夜襲がかかるやもしれぬという警戒をこそ、怠らぬよう用心していたその矢先のこと。

 「はいはいはいな。ちょいとお待ちくださいませ。」

 まるで公的な改メ方の訪のいかと思われたほどに傍若無人な勢いで、大戸をどんどんどんと殴りつける音がして。里への大門は閉ざされた時刻だが、それでも…お客様への火急の使いかも知れぬと。帳場から出て来た若いのが、手燭片手に土間の三和土へ降り立って、大戸の中ほどに繰られた小窓を開けて外を見やれば、

 「………え?」

 街灯でもあり、夜半には用心のための常夜灯にもなっている、朱塗りの灯籠がうすぼんやりと照らす夜陰の中。この時間帯にはあり得ない数の、通りに広がっていた人影が幾つも望め。そのいかにもな怪しさに、若い手代がひゃあと驚き、土間を後ろへ飛びすさったのを追うように。頑丈な板戸が大槌にて叩き壊され、そこからどっとなだれ込んだのが、黒っぽい手ぬぐいやかづきで顔を隠しての各々に武装した、浪人者らしき連中の一団だった。定職もない、他所に何をか探しに街を出るほどの路銀も、ついでに覇気も無いまま、世をすねての不平ばかりこぼしていた一党が、街の下層には多くいて。開拓時期には開墾のための人手が住んでた しもた屋街だから、遊里である“癒しの里”に程近かったその構造から、一番手が出ない宝石のような高嶺の花が最もよく見えるとは何とも皮肉なお話で。そこを贔屓にしているアキンドらへの怨嗟がそのまま店自体へも向けられた、言わばとばっちりのようなもの。とはいえ、この段階ではそんな相手の正体なぞ一向に判ろう筈もないままであり。



 「あれ、お梅ちゃんは何処いった?」
 「知らないよぉ。あの子、時々夜中に抜け出すからねぇ。」
 「姉さん、怖いよぉ。」
 「ああよしよし、こっちだよ。あたしに ついといで。」

 仲居として住み込みのお女中たちが、不安そうな声を上げつつも…あられもない慌てようにならぬのは。ひとえに日頃からの躾けのよさの現れとそれから、

 「皆、階下
(した)の板場へ集まりな。」
 「仲良しの姿が見えるかどうか。ちゃんと銘々で確かめるんだよっ。」

 か弱い女性らを起こしては、その無事を確かめつつ避難させ、同じように住み込みの男衆へも七郎次が声をかけて回っている。

 「兄さんたちは済まないが、お客たちを案内
(あない)してから避難しておくんな。」

 基本、蛍屋はお座敷料亭ではあるけれど。宴が長引いてのことのみならず、最初からそのつもりで口説き落とした太夫同伴だとかいう、色を好まれるお客層もなくはなく。妓楼じゃあないとしながらも…よほどに無体な経緯で連れ込んだ場合を除いては、見て見ぬ振りでのお泊まりを断り切れずにお受けすることもある。また、月見て一句などという風流人の集いだと、どうしたって大門が閉じて以降が盛り上がるので、そんなお客は離れへ泊まられるのが慣例となっており。今宵は2組ほど、そんな宿泊のお客様があったらしい。

 「他の皆は、このまま板場に向かっとくれ。
  あすこは作りも頑丈だから、そうそう外から叩かれたって崩れやしまいし、
  命の包丁、万が一にも奪われちゃあコトだろう。」
 「そうは言うがシチさん。」
 「そうだ、おいらだって あんな盗っ人なんか怖くねぇ。」

 お使いから力仕事まで、雑用のあれやこれやを請け負う下働きの男衆が、勢い込んでのいきり立ったが、
「馬鹿言っちゃあいけない。いなせな兄さんたちが怪我したら、泣いちまうかわい子ちゃんたちが、この街にゃあ たんといようが。」
「それはシチさんだって。」
「アタシゃあ不思議と悪運が強いからね。」
 こんな騒ぎの中でもそんな口調が出る余裕の頼もしさ。彼だとて、寛いでたところを不意をついての騒がされた身だろうに、此処にいる間、ずっと封じていた朱柄の槍を、今は既にその手へお持ち。
「それに、どっちかってぇとアタシは用心棒だからねぇ。こういうときにこそ働かないでどうするよ。」
 粋でいなせな美丈夫で、如才なくお客を楽しませるのがお上手な、一流の幇間としてのお顔の方こそが知れ渡っていた彼だけど。抜き身の真剣が相手でも、一向 怯まず立ち向かえた、そりゃあ頼もしいお侍でもあったのを、あ・そうだったと、皆さん、今になって思い出していたりもし。

 「いいね? 皆が無事で初めての手柄だよ?
  盗賊取っ捕まえたとて、褒めて下さる差配様はあいにくとご不在だ。
  だからってのも勘定高いが、
  アタシらにゃあ、明日も何事もなくお店を開けるほうが大事だよ?」

 皆を励まし、さぁさ避難だと追い立てた、そんな七郎次さんが、その胸中にて唯一心配に思っていたことと言えば、

 “勘兵衛様と久蔵殿は、どう対処しておいでだろうか…。”

 案じてという意味合いではなくの、だが。無茶をなさってはいないだろうか、久蔵殿はまだまだ勝手が戻らぬ身だけに、万が一にもそんなご自分へと焦れておいでじゃなかろうかと。余裕があるからこそという、別方向の心配に、ちょっぴりやきもきしておいで。そして、そんな彼らが逗留中の、離れのあった中庭にては、

 「ぐあぁあっ!」
 「ぎゃあっ。」

 その離れの、濡れ縁に向いた障子戸が、内側から一気に粉砕されての砕け散り。いきなり撒き起こった突風に押し出されるように飛び出した誰かしら、覆面頭巾の男どもが、細切れになった建具と共に、庭先へずでんどうと転がり落ちた。それを追って、室内の暗がりからじわりと滲み出て来た存在があり、

 「騒がしい者どもだの。人前に出るは、明るいうちでは恥ずかしいか。」

 しかもそれほどまでの大人数でないと? 言いようは物静かだが、含まれた棘には…それを弱みとするだけの図星な部分があればあるほどムカッと来るもの。

 「何を猪口才な。」
 「このような遊里に身をおく腑抜けな輩に、大口叩かれる言われはないわ。」

 病犬どもの雄叫びに、くすすと口許だけで微笑った壮年殿。腰に差すまでもなしと片手に下げて来た得物の大太刀、鞘も抜かずに持ったまま、夜着だろう小袖姿でいる彼へ。数人ほどで取り囲む格好となっていた賊どもが、くうと喉を鳴らすとそれぞれの手を上げ、一斉に振りかぶった勢いのまま、太刀をかざして突進してゆく。意味を成さない怒号を聞きつつ、それらの先にいた勘兵衛はといえば。煌々と照る月に横顔をひたしつつ、

 “あまり飛ばすでないぞ、久蔵。”

 此処には既にいない誰か様を、苦笑混じりに案じていたりするのであった。



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  *さあ、いよいよの活劇です。
   何とか頑張りますので、ちょこっとお待ちを。
(苦笑)


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